私はちりめん街道のある加悦地区の隣町に住む住民。今ではちりめん街道という場所に対し、どこか暖かい気持ちを抱く者の一人です。
とあるきっかけで街道を訪れたとき、旧尾藤家住宅の映写室にて一般公開されている映像で、この人物のことを知りました。第十一代 尾藤庄蔵氏。ちりめん街道にて、生糸ちりめん問屋、醤油屋、保険代理店などの多角的な経営を進め、大きな成功を収めた人物です。また同時に、町の議会議員、銀行や鉄道会社などの取締役を務め、さらには加悦町長に就任するという経歴の持ち主です。
昭和9年〜11年ごろに撮影された、16mmフィルム。その頃、ちりめん街道ではちりめん産業が隆盛を極めていました。モノクロームの映像の中、庄蔵氏は尾藤家の玄関先でにっこりと微笑み、洋館のソファでゆったりと煙草をふかすのです。
資料によると、庄蔵氏が加悦町長となったのは昭和3年。実に、前年に起きた「丹後大震災」の翌年のことです。事業に成功しただけでなく、町の復興や社会的活動にも尽力した彼は一体どんな生き方をしたのか…。
そのとき直感的に思ったのです。私たちは、当時の庄蔵氏の人となりから学ぶべきことが見えてくるのではないか、と。
その時から、関係者に取材をしてまわる日々が始まりました。しかし、建造物や歴史データとしての資料は手に入っても、庄蔵氏の人となりに関する情報はほとんど出てこない。
行く先々でお聞きする「あの人なら何かご存知かも」というわずかな情報を頼りに、数珠繋ぎに何人もの人にお会いしました。そしてついに行き着いた先が、ちりめん街道に4つある寺院のうちの一つ、「宝巖寺(ほうがんじ)」ご住職の小野泰昭さんでした。
寺院には柔らかな日が差し込み、静けさが凛とした空気を感じさせます。玄関先で迎えてくださったご住職に名刺を差し出したあと、こう伝えました。
「ちりめん街道の取材をする中で、どうしても知りたいと思うことが出てきました。それは11代尾藤庄蔵さんの人となりについてなんですが…」
これを聞いたご住職はやわらかく微笑み、そして静かに語ってくださったのです。